今後のブログ更新頻度について

少し期間があいてしまいました。

 

1か月に2回程度記事をアップしたいと思っているんですが

 

何となく言葉を綴ることにしっくりこなくて

本日のアップになりました。

 

感覚的なものを優先していているのですが

今後は今まで以上にそれが必要な気がしていて

 

ブログの更新がまちまちになるかもしれません。

 

不定期になるかもしれませんが、読んでくださっている皆様

今後もよろしくお願いします。

 

そして、いつもご覧くださりありがとうございます。

 

恋焦がれたものと主体

先日節目の時を迎え、朝のまどろみの中で

 

「自分は生きることに恋焦がれていた」

「自らが身体を持って産まれることを望んだ」

 

という突然の感覚が訪れました。

 

同時に一つの区切りを迎えたという感覚がありました。

 

例えば過去世というものが存在するならば

 

あの時も、この時も本当の意味で生きることに恋焦がれ

 

今世も自らが望んで産まれてきたのであり

 

全ての選択は自分がしているという視点になったのです。

 

産まれ落ちたと思っていたけれど、そうではなくて

 

全ては自分の選択だという、主体を取り戻した視点です。

 

同時にその生を楽しむだけで良くて

何者にもならなくて良いとも感じました。

 

何故なら、産まれたこと、生きていることが奇跡だから。

 

重い荷物をおろしたら

逆説的だけれど、そのゼロの視点に立ち返った時

 

ここから何をしていこう

そういう気持ちにもなりました。

 

思い込みという重い荷物をおろせた時

 

私の場合は、ある意味では降ろさざるを得なかった時

 

ゼロに戻り、自分にも周りにも誠実な気持ちで

自らの軸を自然に取り戻し

思い出していくことができるのかもしれません。

 

言葉にすることは難しく、伝えられているか分かりませんが

 

何を話したかったというと

 

折角いただいた生、自ら望んで産まれてきた生とこの身体に感謝しながら

 

気負うことなく自らに誠実に生きていきたいと思ったということでした。

 

 

 

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