恋焦がれたものと主体

先日節目の時を迎え、朝のまどろみの中で

「自分は生きることに恋焦がれていた」

「自らが身体を持って産まれることを望んだ」

という突然の感覚が訪れました。

 

同時に一つの区切りを迎えたという感覚がありました。

 

例えば過去世というものが存在するならば

あの時も、この時も本当の意味で生きることに恋焦がれ

今世も自らが望んで産まれてきて

全ての選択は自分がしているという気付きがありました。

 

産まれ落ちたと思っていたけれど、そうではなくて

全ては自分の選択だという、主体を取り戻した感じです。

 

同時にその生を楽しむだけで良くて

何者にもならなくて良いとも感じました。

何故なら、産まれたこと、生きていることが奇跡だから。

 

重い荷物をおろしたら

逆説的だけれど、そのゼロの視点に立ち返った時

ここから何をしていこう

そういう気持ちにもなりました。

 

思い込みという重い荷物をおろせた時

ゼロに戻り、自分にも周りにも誠実な気持ちで

自らの軸を自然に取り戻し

思い出していくことができるのかもしれません。

 

言葉にすることは難しく

伝えられているか分かりませんが

何を話したかったというと

折角いただいた生、自ら望んで

産まれてきた生とこの身体に感謝しながら

気負うことなく生きていきたいと思ったということでした。

 

 

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