Contents
夢は大物アイドル!
思い出すと物心ついた頃からアイドルに憧れ、メルヘンな女の子を描くことが私の常でした。
年の離れた男兄弟の中の女の子だったので、兄弟の遊びには入れてもらえず、一人で遊ぶことが多く
ドレスを着てハイヒールを履いたキラキラ瞳のお姫様を描いていました。
今でこそカジュアルなものばかり身につけていますが、当時は女の子していましたね。
もっぱら松田聖子さんの時代で夢はアイドル!
歌番組を見ながら歌って踊って一人ステージショー。
例に漏れず聖子ちゃんカットも真似したくて、自分なりに髪をこねくり回していました。
はまった原因は潜在意識?
当時もう一つはまっていたのは、ステンシルの様な模様を描く道具。
鉛筆を穴に入れるとクルクルとその定規の様なものがまわり、曼荼羅模様を描けるという優れもの。
知っている方いますか?
何という商品か今となっては分かりませんが、鉛筆を動かすだけで綺麗な幾何学模様ができる不思議さに魅了され
色鉛筆で自分なりに対称を考えながら色を塗り重ねました。
幾何学模様の繰り返しって、潜在的に刻まれた生き物が安心するもののような気がします。
予感的中!絵画バージョン
※中学生の時に描いた水彩画を発見!何故学校の中履きを描いたのかは謎です。
小学時の夏休みの課題は、絵を描くか書道もしくは手芸を提出するのが定番でした。
自由研究は全く取り組んだ記憶がありません。
昔から理系ではなかったですね。
因みに課題は切羽詰まってからしか取り組めないタイプでした。
そんな感じだったので、高学年の夏休みの最終日、自宅に飾ってあった「百合の花」を色鉛筆で描きました。
焦って描いたわりに自分的に満足いくできに仕上がったので試しに市のコンクールに出してみると
曖昧な記憶ですが佳作か何かの賞をいただいたと思います。
コンクールに出した後に(賞をもらえるような気がする・・・)と何となく思っていると
何と予感は的中したのでした。
幼馴染の真似から始めたけど・・・・
書道は小学2年生くらいから高校2年生くらいまで習っていました。
始めたきっかけは隣の幼馴染が書道をしていたから。
ありがちな理由ですね(笑)
真似から始めた習い事でしたが、それでも飽きっぽい私が10年程続けてこられたのが唯一書道で、私にはとても合っていたと思います。
幼馴染も中学3年生まで通っていたので私も長く続けられ、彼女にはとても感謝しています。
上達していくと級や段が上がっていくことが嬉しかったことや、先生が穏やかでとても優しかったことも続けられた理由の一つでした。
予感的中!書道バージョン
習字教室は週1回のペースで月4回あり、課題字を月1回東京の書道本部に提出していました。
優れた作品は毎月提供される教本に掲載されるのですが、中学生になると私の作品も何回か掲載されることがありました。
掲載された作品で印象に残っているのは「深海魚」という課題です。
この課題に取り組んだ日は先生が不在で、師範をお持ちの娘さんが教えてくれた日でした。
何となくいつもと違う教室の雰囲気だったのを覚えています。
その日は自分の字も少し違っていて筆が走る感覚があり、最後に書いた作品はまさに筆が踊っていたように思います。
その時に(これは掲載されるかもしれない!)と直感的に思って提出しました。
予感は的中。作品が教本に掲載されました。
偶然かもしれませんが、何回かこんな風に予感が的中することがありました。
今も続けていたらどんな字が書けているだろう?
書道を辞めなければ良かった、そんな思いもありますが
納得いくものを創っていく気持ちや集中することなど、書道で身につけられたことは今でも私の大きな財産になっています。
初めての油絵と象徴画
※中学3年生の時に描いた初めての油絵。自分の幼少期を描きました。
絵の話に戻りますが、中学生になると美術を選択しました。
美大を卒業したばかりの担任でもあった美術の先生に教えていただき、油絵で自分の小さい時を描いたり象徴画にも初めて取り組みました。
キャンバスに描くことも初めてだったので、気分は画家でした。
筆を弾いて宇宙を表現する描き方も初めて試し、小さく飛び散った絵の具が星のように見える不思議と
目の前に広がる自分の宇宙を、自分でも表現できるんだ~
そんな喜びと驚きが交錯した感覚で描いていたように思います。
メッセージは突然に
書道と同じで高校生、短大、就職と大人になるにつれ絵を描くこともしなくなっていたのですが
東北大震災を経験した後、人生は1回しかないから自分のやりたいことを少しづつやってみよう
そんな気持ちからまた絵を描き始めていた矢先のこと、、、、、
たまたま立ち寄った文具屋の2階のギャラリーでその担任の先生が個展をやっていることを知り
「これは先生に会いなさいというメッセージだ!」
と思い、意気揚々と2階ギャラリーへ向かいました。
懐かしい気持ちで入ると、何と先生が在廊しているではありませんか!
先生の作品は新聞紙を切って張って、それを鶏の羽根にしている遊び心のある作品ばかり。
明るく親しみのある先生らしい作品が印象的でした。
再会は突然に
先生と色々話もしました。
私 当時大変でしたよね(内心苦笑)
※今では笑い話ですが、当時校舎内を自転車が走り回るような学校で凄く荒れていました。
先 あ~、そうそう。提出してもらったみんなの作品も今も大事にとってあるよ
なんと当時の絵を持ってくださる!凄い!見たい~!
後日改めてアポを取り、再度ギャラリーで自分の作品と再会しました。
真っ黒に塗ってある下地に渦巻く銀河が広がり、無数の星が散りばめられたものでした。
※画像を載せたかったのですが、当時の携帯を水没させていまい手元に画像がなく、、、。
私らしい落ちですみません。
私以外の子の作品も丁寧に保管していて、痛みも殆どなく
こんなに大事にとっていてくださることに感謝の思いと、先生に出会えて良かったという思いを胸に帰宅しました。
出会いや人の在り方も循環の一部
※中学2年生の時の作品
書道に関しても本当に良い先生に恵まれたと思います。
コンクールに出展する時は、納得いく作品ができるまで何枚も書く作業に夜遅くまで教室を開けてくださり、子供の意欲を汲み取ってくださる先生でした。
このブログを書きながら気づかされています。
ありがとうございます。
自分の中の小さな芽は、出会いによって育てられ木になり葉っぱをつけていく。
出会いはある意味で木を育てる土壌と言えるかもしれません。
その中の栄養をどのように受け取るのか、それは個性によって、好みによって、自分自身の在り方によって変わっていくものかもしれません。
木は成長すると木陰で人を休める場所を創り、実をつけ、葉を落とし、今度は周りや土に栄養として循環していく。
そういう意味で出会いや人の在り方も循環の中の一部だと感じます。
それは、人間も地球に生まれた生物として、自然の摂理としてしごく自然なことだと思います。
改めて出会ってくださった先生方に感謝の気持ちです。