人と人を繋げた子
今年の秋に実家で飼っていた家猫が星に還りました。
16年共に過ごした親友でした。
とてもやんちゃで人懐っこく、近所の子ども達についていったり
猫があまり好きではない人にも近づいていって
何故か膝の上に自然にのってしまい(自然にのせてしまい)
彼がきっかけとなり自然と家族に会話を生み出してくれるような
人と人を繋いでくれる不思議な雰囲気をもった子でした。
おそらく彼は自分を人間だと思っていたのではないかな?と思います。
そして自分の役割のようなものを自覚していたのではないかな?とも思います。
二人の関係を深めたもの
彼と私は眼で会話するのが常で
遊びに行くといつも出迎えをしてくれて
帰りは玄関まで見送りにきてくれる優しい子でした。
一緒に大の字になって庭や農道に寝転がり
あぜ道を散歩し、日向ぼっこをし
そういう見えない会話が私にとってとても心地よく
それがお互いの関係を深めてもくれました。
かすかな予感
今年に入ってから少し元気がなくなり
何となく離れることになりそうだな
そんな予感がしていました。
夏になると夏バテも重なりすっかり痩せてしまいました。
病院にも通っていましたが
最期の数週間は食欲も落ち
水を飲むことも拒むようになりました。
これからも生きていて欲しいという私の思いとは裏腹に
まるで生かされていることを当たり前に知っていて
自分の命の光がいつ小さくなるのかを分かっているかの様でした。
それでも食べなくなってから少しの間
スポイトで水や流動食を彼の口に運んでいました。
これには色々な考え方があると思うのですが
しかめた顔で食べることを拒み、そむける姿を見ていたら
その私の行為は彼にとって苦痛でしかなく
穏やかに死を受け入れている様にも感じて
生きて欲しいという思いからではあるけれど
無理に元気にさせようとすることは私の身勝手な思いだと感じて
最期の一息までただ静かに隣で見守り
彼の穏やかな死を願って受け入れました。
生きていく場や環境によっても違うと思いますが
野生の動物、ペットなど動物達、特にも植物達の死生観は
人間が考えるそれとは少し違うと私は感じていています。
最期の数時間はあちらとこちらをいったりきたりしていました。
そんな中でも力を振り絞って首を上げ、私の眼をじっと観て
「ニャー」と大きな声で大好きだよと伝えてくれました。
マゼンタ色に染まった空の下で
彼のことを思い出し今も時々寂しくなります。
ですが、最期の数週間を一緒に過ごし看取ることができたのは
とても大きな幸せでした。
ありのままでいること、風のように在ることを
彼はずっと寄り添って教えてくれていたのだと
今これを綴りながら振り返っています。
彼が星に還った夕方の空はマゼンダ色に染まっていました。
家族に愛されたニャーニャ(ゆうま)
どんな風に感謝を伝えても伝えきれないけれど、沢山の愛をありがとう。
大好きだよ。